この忙しいのと、大雨の中、アップリンクで上映中の Alissa Eliki 制作監督の映画「Caravan to the Future」を観てきた。4ヶ月に渡るニジェールの砂漠の塩キャラバン同行記録。僕は砂漠は何度も訪れているが、あくまで観光客であって、灼熱の真昼は避けるし、歩かない。彼女は一日16時間、ラクダの背に乗って(歩いて)、昼は摂氏50度、夜は零度近くまで冷える砂漠を四ヶ月旅した。その灼熱と無音の極地が生み出す奇妙なトランス感が(彼女の喋る日本語の数倍も)説得力のあるフランス語のナレーション付きで伝わってくる。ティナリウェンをはじめとする砂漠のブルースたっぷりのBGMも雰囲気たっぷり。見ていたこちらも途中何度も脳が真っ白になった。この点だけで十分に傑作ドキュメンタリーだ(使用機材はホームビデオだとしても)。
そして、終了後のトークでもう一つ驚きの事実が明かされた。映画が完成した昨年、13年ぶりに彼女は同じ村を訪れた。そこで目にした変貌について。映画の主要キャラとなっている中年や老人たちは今も塩キャラバンを続けているが、映画の中で塩キャラバンの未来を継ぐと思われた陽気な10代の少年たちは、30歳手前になり、現金収入のない自給自足的な塩キャラバンを止め、現金収入を求めて日雇いの農作業を行っているというのだ。しかも単なる日雇いバイトなのに。
現代は世界中の誰もがiphoneを欲しいし、その画面のinstagramに流れてくるセレブの生活を真似したいのだ。(もっと正当性のある理由としては、子供たちの学校教育のためにも現金は必要だろうな
ちょっと論点はズレるかもしれないが、ユヴァル・ノア・ハラリの言葉
「国民のコミュニティはこの数十年で「消費者部族」の前にしだいに影を潜めつつある。消費者部族を構成する人々は、親密な知り合いではないが、同じ消費習慣や関心を持ち、それゆえに同じ部族の一員だと感じて、自分たちをそのように定義する。たとえばマドンナのファンは、一つの消費者部族を形成している。(中略)マンチェスター・ユナイテッドのファンも、ベジタリアンも、環境保護論者も、消費者部族だ。彼らもまた、何よりもまず、消費するものによって定義される。それこそが彼らのアイデンティティの要なのだ」
ニジェールの塩キャラバンを継ぐはずだったトゥアレグの若者も、僕たちと同じ消費者部族の仲間に入る時代である。
とにかくアリサ、労作を届けてくれてありがとう!