2003年1月8日
サラームアリクム。 そして新年明けましておめでとうございます。 本日インドより帰国しました。 たくさんの年賀状頂きまして誠にありがとうございます。 頂いた方には遅くなりましたが明日お返事を出します。 さて今回のインドは去年も行ったチェンナイ(旧名マドラス) の南インド古典音楽フェスティバル再訪と、 そこからさらに4時間ほど南に下った都市オーロヴィル訪問、 それからボンベイでザキール・フセインと彼の弟トーフィクに 会ってきました。 チェンナイのフェスティバルについてはミュージックマガジンの 昨年7月号でレポートしたのと去年もここで書いたので詳しくは書きませんが、 昨年チェンナイを離れる前日に出会い意気投合し、以来メル友となっていた 古典音楽マニアの爺さん(70過ぎだと思っていたら60代前半だったよう)に再会し 毎日一緒にコンサートに通ったり、自宅にお呼ばれしたりもしました。 泊まっていたホテルはエアコン、ホットシャワー、衛星テレビ付きの30平方m くらいの広さの3つ星ツインで税込み1000ルピー(2700円)。 コンサート会場まで歩ける距離だったのも良かった。そこに結婚式の会場があり、 年末年始だったので毎晩のように結婚式があったのですが、12月31日に前を通ると オヤジに話しかけられ、結婚式に出席しろ、日本では「踊るマハラジャ」が流行った だろう。他のインド映画はどうなんだ。明日の朝9時から映画のスタジオで新年会が あるから、連れて行ってやる。ラジニカントやARラフマンに会わせてやると 一方的にまくし立てられ、結婚式に出て、新年カウントダウンパーティーにも出て あまり寝てないにも関わらず、元旦朝からスタジオに出かけました。 郊外のスタジオに行くと「踊るマハラジャ」の監督やタミルの若手ナンバーワン男優 ヴィジャイや新人のお色気女優なんかが新年のお祈りをやっていて、地元の新聞記者 に混じってばしばし写真も撮ってきました。でも肝心のラジニカントやARラフマン には会えず。オヤジは自称プロデューサーで、その後も映画関係の知り合いの家を 転々と回り、そのたびにお茶を出され、「他に会いたい奴はいるか」と言われたので 「踊るマハラジャ」にも出ているちびデブのコメディアン、センディルに会いたいと 言ったら、本当にセンディルの家に連れて行ってくれて、ご対面してきましたよ。 この人です。 www.osaka-rajni.net/m-intro.html センディルは英語が出来ないので話はオヤジに通訳してもらいましたけど。 オーロヴィルという町は19世紀末から20世紀前半に活躍したオーロヴィンドという ヨガ行者とその後継者マザーが興した自給自足の町で住民の2/3は白人。 ちょっと趣味のイイお香や服を作ったり、コンピューターソフトを作ったりして しのいでいるようです。ここには直径70センチで世界最大の水晶球があって、 その水晶を置いた巨大な球形の瞑想用の建物があるんです。どんな建物かは下記の サイトを見てください。 www.auroville.org/ 強烈でしょう。なんか宇宙戦艦ヤマトのコスモクリーナーってのを思い出しましたよ。 入り口のカフェとかアウトドアでインドらしからぬおしゃれさで、ブラウニーとかも 美味しくてゴアの外人バー、プリムローズを思い出しました。 働いてる白人達も妙に自意識過剰ないわゆる「光の戦士」系キャラばかりでね。 まあ茶化すのは良くないですが。 そこで僕達も一時間ほど夕暮れ時に瞑想をしてきました。水晶の波動がすごい らしいのですが、僕はわかりませんでした。ただ部屋の音響設計がすごくて 一人のくしゃみが爆弾のように残響するんですよ。 オーロヴィルにはポンディシェリという町から行きます。 ポンディシェリも奇妙な町でインドで唯一フランスの植民地だった町なんです。 だから交通整理の警官とかドゴール帽かぶってるし、今も中産階級以上は フランス語を使ってます。リセもあるし、フランス料理屋も数軒あって、 インド料理ばかり続いていた胃にはスープ・ド・ポワソンだのクレーム・ド・ キャラメル、カサゴのプロヴァンス風煮込みなど相当染みましたね。 ここで泊まったのはホテルではなく個人宅の貸部屋で、東南アジアからインド亜大陸 の骨董品、仏像、美術品が所狭しと飾られたコロニアルな家でした。 完全な外人租界の町ですね。つってもバックパッカーじゃなくて精神世界系の。 年始はボンベイに移動。ボンベイはもう何度も通り過ぎてはいるのですが、 宿泊するのは今回初めて。宿が高いし、人は悪いし、環境も劣悪で、 長期旅行者でこの町を良く言う人はいなかったから。 でも音楽や映画などインドの文化面の首都だから何か魅力 があるはず。でも空港でいきなり客引きどもにつきまとわれたり、 妻のバッグがフライト中にブッ壊れるわで、着いて早々ウンザリ。 でも翌日にトーフィクのレコード会社のA&Rに連れられレコ屋を回り、 アラブ風なオシャレなカフェや、DJの入ったバーに行くと、 僕は水を得た魚状態。やっぱり都会は楽しいですよね。 レコ屋ではボリウッドサントラやジェニファー・ロペズ以外には 僕がライナーを書いているカーシュ・カーレイやシェビー・サバー、 トリロク・グルトゥ、トーフィックなんかが大プッシュされてて 「オレってインドじゃ相当イケテない?」って思えるほど。 ブッダ・バーのシリーズも妙に人気があったですね。 ライブは着いた初日にザキール・フセインとシブ・クマール・シャルマ、その息子の ラフール・シャルマ、ハリ・プラサード・チョーラシアとその甥 ラケーシュ・チョーラシアのジョイント・コンサートがあり、チケットは完売と 聞いていたのですが、レコ屋に行くと前から5列目で真ん中の席が 1500ルピー(4000円!)で残っていて、ここは清水の舞台から飛び降りるつもりで 買い、全4時間以上のジャガルバンディ(ジャム・セッション)を堪能しましたよ。 他にも郊外の公民館にライブを見に行ったり、映画館ハシゴしたりと連日都会 ならではの楽しみを満喫して帰ってきました。 まあ今回のインドでは会う人、会う人、みんな海外の大学を出たり、地元で MBAを取ったりしていて、携帯電話やパソコンを持っていて、日本車に乗って、 家でも英語を使っているような人。 でも自分の未来と会社の未来とインドの未来がシンクロしていて信じてる。 高度成長期の日本人みたい。 僕がフリーランスだと言ったら、いきなりうさん臭がられましたよ。 バックパッカーをやっていた時はガンジス川に沐浴してる人達やサドゥを安宿の テラスから見て「インドは何も変わらないなあ、ブハア」って塩梅だったけど それはそれで正しいんだけど、一方でものすごい速度で変化しているインドもある わけで。今回はそっちを見れたってことが一番の収穫ですね。 悠久のインドなら初インドの学生でも貧乏旅行で好奇心の麻痺した蘊蓄オヤジ でも語れるけどボンベイのクラブやレコ屋事情はほとんど誰も知らないでしょう。 僕は今年もそういうグローバル化とローカルの挾間で動いている音楽を 追い続けますよ。 ====================================== 今回の料理はボンベイで食べたグジャラート州のターリー (おかわり自由食べ放題定食セット)です。値段は100ルピー(260円)。 チェンナイで南インドのベジ料理を食べ尽くし、ゴアで魚介とワインなどを 使ったポルトガル=ゴア料理、日本でもタンドーリなど北インドのパンジャブ料理 を食べていたので、インド料理はこんなものかと勝手に思っていたのですが、 西インドのグジャラート州の料理はそういう思い上がりをぶち壊してくれる物でした。 なんとカレーが甘いんです! 全てのカレーに砂糖が入っていて甘じょっぱい! 豆のカレーなんか小豆みたいに甘い。締めにご飯に無糖のヨーグルトをかけて そこに野菜のカレーをかけて混ぜ合わせて食べるのが南インドのスタイルなんですが グジャラートではそのヨーグルトまで甘い。しかも温かいヨーグルト。 この店は調理方法が丁寧で繊細な味付けがされていたので非常に美味しかった のですが、これは毎日は食べれないし、安食堂なら気持ち悪くなったかも。 まあ色んなカレーがあるわけですよ。 カリ〜番長知ってた? てなわけで長くなりましたが今年もよろしくお願いします。