日本とのメールのやりとりやら、原稿チェックやら、SNS投稿などをこなしていると、いつの間にか9時。空を見上げると雲の無い青空だ。シャワーを浴び、仕度をして、朝飯は階下に住むセルハンのところでバナナ・ミューズリー・ヨーグルトをいただく。
12時すぎにハッカン&アイリンのアパートへ。ヌルギュルお母さんが、「お昼の前に小腹が空いただろうから食べて行きなさい」とトマトポーチドエッグを含む朝食をもう一度作ってくれた。今日の予定は夕方から前夜に訪れたModa地区のBinaの二階、三階のギャラリースペースBant Mag. HAVUZでガイェ・ス・アキヨルの取材。それまで時間があるので、ハッカンと甥っ子で3歳の頃からBant Magazineの表紙モデルを続けている17歳のジャンと三人でハイダルパシャにあるイギリス軍人の共同墓地に観光に出かけた。お昼で今日は快晴にも関わらず気温は2度。とにかく身を切るように寒い。
タクシーで共同墓地まで行き、人っ子一人いないだだっ広い墓地を歩き、そのままカドゥキョイまで歩いて戻る。
ハイダルパシャ駅の高架橋を渡り、ドルムシュのたまる薄汚れた地域を抜け、イェルデーエルメニという新興ヒップな地域を通る。この、イェルデーエルメニLとR、そして長母音が続き、僕には発音出来ない!
昼食はモダの入り口にある老舗メイハネの支店Birtatに入る。
僕は焼き鳥サイズの小さな肉片のチョップシシを頼むと、ハッカンが羊のレバー炒めまで頼んでくれる。しかしハッカンもジャンもレバーは嫌いらしく、結局僕一人で食べることになる。
四時過ぎに待ち合わせのBinaへ、そして5時前から三階に場所を移してガイェ・ス・アキヨルに40分のインタビューを行った。彼女のユニークな音楽がどうやって生まれたのか。そして1stから2ndへの大きな飛躍の謎など、しっかり伺えた。
インタビューは急に決まったので、まだどこに使うかは決めていないのだが、今進行中(日本に戻ったら進めねば!)の新たな単行本に使ってもいい。インタビュー以外にもラジオ用のID、日本のオーディエンス向けのメッセージビデオまで撮らせていただいた。
この場所は彼女が最近Youtubeに発表したばかりのアンプラグドライブ映像の収録場所でもある。ハッカンとアイリンがキュレーションし、今週金土にオープニングのレセプションパーティーが行われるが、僕は別の取材が入っているので、出席出来ないなあ。
インタビュー後、Binaの地階でカフェ。
夜7時にハッカンのアパートに戻ると、ヌルギュル母さんがまたまたたっぷり料理を用意していてくれた。「野菜ばっかりだから食べて行きなさい!」と言って用意してくれたのは確かに野菜サラダ中心だが、メインは大麦がたっぷり入ったお腹にたまるチョルバだった。
9時すぎに帰宅。10時近くまで一人で起きていたが、家主のアフメトジャンが戻らないので、電灯を点けたまま寝る。